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「自分の事」山下颯大

全部はみえない展まで、あと1ヶ月を切りました。広報やグッズ作成など、実行委員も動き回っております。

そんな中、実行委員で小学6年生の山下颯大くんが小学校を卒業し、この春から中学生になりました。

彼が卒業文集に乗せた内容をブログに転載します。

熱い文章です。じっくり読んで見て下さい。

「自分の事」 山下颯大 自分の夢は、「絵」で世界平和を実現する事だ。でも自分は、この世界を平和にしたいわけではない。自分の世界を平和にしたいのだ。自分が描く絵には、必ず何処かに兵器が登場する。それは、自分の心の中に何か平和では無いものがあるからだと思う。自分は、絵を描くとき自分の世界を観て描いている。この世界は、自分の心の分身と言っても過言ではない。だから自分の絵から、自然に平和になったら、きっと自分の心が平和を見つけたときだろうと思う。でもこれは、決して自分勝手な事とは思えない。なぜなら、自分の絵を過去から見たとき最期に来るのは平和な世界だ。つまり、自分は平和を見つけている。それを時系列で見た時、その人も平和を見つけれる。そういう考え方だ。だから自分の描きたいと思ったときに自分は絵を描いている。何も描かずにいる時期があっても、それは無意味な事ではない。そう思う。

人はそれぞれ、好きな世界観を持っている。大平先生だったらガンダムとか。自分の世界とは自分の好きなものや、自分のモットーや、自分はこうでありたいなどの思いであったり。「自分の事」がギュッと詰め込まれた世界を自分の世界というのである。だから自分の世界は、普通なら1個位しか無いだろう。でも自分は複数の世界を持っていると思う。だから、一つのものを色々な角度から見ることが出来るとよく言われるのだろう。

自分は絵を描くとき、必ず遊びを入れている。でもそれは、本当に遊びなのだろうか。それは違うのだ。自分の核となる世界には、自分の基本的な世界観がある。それをそのまま観ても、まぁ絵としては成り立つであろう。ただし、とてもつまらない絵になる。これはなぜかと言うと、そう、自分の核となる世界は形だけであって、飾りは全く無いからだ。でも自分の絵は形だけでできてはいない。先程言った、複数の世界。 その複数の世界にはその世界独特の世界観を持っているからだ。

例えると、土星の無数の衛星は土星の周りに円を描きながら回っている。衛星の数が多いから、土星の周りのお馴染みの輪が出来る。その輪があって始めてあの土星が出来るのだ。でも輪が無かったらあの土星は、単なる土の塊の様な、なんのロマンも無いただつまらない惑星になる。そんな感じだ。この例えの様に、自分の絵は自分の核となる世界に、周りの世界が様々な飾りを足して、当初予定していた絵とは、ほぼ違う絵が出来るのだ。人によっては、それが遊びに見えたり、自分でも遊びに感じて来たりする。だから、少し遊びとは違うのだ。

自分は、人に認めてもらいたい訳じゃない。人に褒めてもらいたい訳でもない。ただ自分は絵を描いて本当の自分を見つけたい。そしてそれが、人の心の原動力みたいなのになればいい。その為にも、自分は今の自分を描いて生きたい。


 
 
 
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